Battleships
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- 基準排水量(新造時):32,759t(陸奥は32,720t、大改装後は39,130t、陸奥は39,050t) 公試状態排水量(大改装後):43,580t(陸奥は43,400t) 全長(新造時):215.8m(大改装後は224.94m) 幅(新造時):28.96m(大改装後は34.60m) 吃水(新造時):9.08m(大改装後は9.49m、陸奥は9.46m) 主缶(新造時):ロ号艦本式本式重油専焼缶15基、ロ号艦本式石炭・重油混焼缶6基(大改装後はロ号艦本式本式重油専焼缶10基) 主機/軸数:艦本式ギアード・タービン4基/4軸 出力(新造時):85,478軸馬力(陸奥は80,000軸馬力、大改装後は82,000軸馬力) 速力(新造時):26.443kt(陸奥は26.5kt、大改装後は24.35kt、陸奥は25.28kt) 燃料搭載量(新造時):石炭3,400t、重油1,600t(大改装後は重油5,600t) 航続力(新造時):16.0ktで5,500浬(大改装後は16.0ktで8,650浬) 兵装(新造時):45口径410mm連装砲4基、45口径140mm単装砲20基(大改装後は140mm単装砲18基)、76mm単装高角砲4基(大改装後は40口径127mm連装高角砲4基に換装)、三年式機銃3挺(大改装後に40mm連装機銃2基、25mm連装機銃10基(のち40mmに代わって装備)、7.7mm機銃3基、1944年には25mm3連装機銃14基、25mm連装機銃10基、25mm単装機銃30基)、533mm水上魚雷発射管4門(大改装時に撤去)、533mm水中魚雷発射管4門(大改装時に撤去) 装甲(新造時):水線305mm、甲板145mm(70mm+75mm、大改装時に70mm+127mm)、砲塔前楯305mm(大改装時に457mm)、砲塔天蓋152mm(大改装時に250mm) 搭載機:常用3機(大改装後) 乗員(新造時):1,333名(大改装後は1,368名)
艦名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
長門 | Nagato | 呉海軍工廠 | 1945/9/15 | ◎1917/8/28 起工 ◎1919/11/9 進水 ◎1920/11/15 竣工、横須賀鎮守府籍となる ◎1920/12/1 連合艦隊第一艦隊第一戦隊に編入 ◎1924/12/1 予備艦となる ◎1925/12/1 連合艦隊第一艦隊第一戦隊に編入 ◎1928/12/10 練習艦となる 1929/5/29 天皇陛下関西方面行幸の御召艦となる ◎1930/12/1 第一艦隊第一戦隊に編入 ◎1931/12/1 予備艦となる ◎1935/11/5 第一艦隊第一戦隊に編入 ◎1936/1/31 大改装工事完了 ◎1937/8/20 陸軍第11師団の一部約2,000名を小松島より上海まで輸送 ◎1937/8/25 佐世保に帰港 ◎1937/12/1 予備艦となる ◎1938/12/15 第一艦隊第一戦隊に編入、連合艦隊旗艦となる(陸奥と短期間交代することあり) ◎1939/9/1 山本連合艦隊司令長官和歌浦にて着任 ◎1941/10/9 太平洋戦争開戦を想定して図演を行う ◎1941/12/8 太平洋戦争開戦、連合艦隊旗艦としてハワイ攻略機動部隊援護のため柱島を出撃 ◎1941/12/13 機動部隊が敵の反撃を受けなかったので帰投 ◎1942/2/12 連合艦隊旗艦を大和に変更 ◎1942/3/15 九一式風信儀を改二と換装のため呉海軍工廠に入渠 ◎1942/4/9 呉海軍工廠出渠 ◎1942/5/29 ミッドウェー作戦主力部隊として柱島を出撃 ◎1942/6/6 ミッドウェー作戦中止により加賀の生存者と駆逐艦より収容 ◎1942/6/14 柱島に帰投 ◎1942/7/14 第一艦隊第二戦隊に編入 ◎1942/7/18 呉海軍工廠にて入渠 ◎1942/7/22 呉海軍工廠にて出渠 ◎1943/1/25 呉海軍工廠にて入渠、主給水タンク修理 ◎1943/2/2 呉海軍工廠にて出渠 ◎1943/5/31 呉海軍工廠にて入渠 ◎1943/6/6 呉海軍工廠にて出渠 ◎1943/8/7 ソロモン方面作戦支援のため柱島を出撃 ◎1943/8/23 トラック到着、同地にて全作戦支援を行いながら訓練に従事 ◎1943/10/17 ウェーキ、マーシャル方面に無線諜報にて敵任務部隊来週の恐れありとトラック所在部隊をブラウンに輸送のためトラック出航 ◎1943/10/19 ブラウン到着、人員揚陸 ◎1943/10/23 ブラウン発、ウェーキ南方250浬まで進出するも敵を見ず反転 ◎1943/10/26 トラック到着 ◎1944/2/1 トラックが敵任務部隊の攻撃を受ける恐れがあるので、連合艦隊主力はパラオに向け、トラック発 ◎1944/2/4 パラオ到着 ◎1944/2/16 パラオも攻撃を受ける恐れと、燃料の関係でリンガ泊地に向け主力部隊はパラオ発 ◎1944/2/21 リンガ泊地到着、訓練に従事 ◎1944/3/25 第一艦隊旗艦となる。司令官宇垣纏中将着任 ◎1944/3/30 リンガ泊地発、シンガポールに回航、修理および整備 ◎1944/4/15 修理完了、シンガポール出航、同日リンガ到着 ◎1944/5/4 第一艦隊旗艦を大和に変更 ◎1944/5/11 リンガ泊地発、タウイタウイに向かう ◎1944/5/14 タウイタウイ到着 ◎1944/6/13 米軍マリアナ来攻により“あ号作戦決戦用意”によりタウイタウイ発 ◎1944/6/12 ギマラス回航、補給を受ける ◎1944/6/13 ギマラス発、マリアナ沖海戦(連合軍側呼称:Battle of the Philippine Sea)に参加 ◎1944/6/22 同海戦では損害なく沖縄中城湾到着 ◎1944/6/23 中城湾発、内地に向かう ◎1944/6/24 内海西部到着 ◎1944/7/2 人員、軍需品輸送のため呉を出航 ◎1944/7/10 中城湾到着 ◎1944/7/12 中城湾発 ◎1944/7/20 マニラを経てリンガ泊地到着、訓練に従事 ◎1944/10/18 米軍レイテ上陸により、レイテ突入の目的をもってリンガ泊地発 ◎1944/10/20 ボルネオのブルネイ入港 ◎1944/10/22 ブルネイ出航、栗田艦隊に属してレイテに向かう 1944/10/24 シブヤン海にてアメリカ海軍艦載機の攻撃により損傷(爆弾2発命中、戦死25名の損害、1、2) ◎1944/10/25 サマール沖海戦にてアメリカ海軍護衛航空母艦部隊を砲撃 1944/10/26 25日(爆弾2発命中)と26日にアメリカ海軍艦載機の攻撃により損傷(爆弾4発命中、38名の死者と105名の負傷者を出した) ◎1944/10/28 ブルネイ到着 ◎1944/11/15 第三戦隊に編入 ◎1944/11/17 ブルネイ発、内地に向かう ◎1944/11/25 横須賀入港、入渠して損傷個所修理および副砲撤去 ◎1945/1/1 第一戦隊に編入 ◎1945/2/10 横須賀鎮守府警備艦となる ◎1945/4/20 予備艦となる ◎1945/6/1 本土決戦に備えて特殊警備艦となる 1945/7/18 横須賀にてアメリカ海軍艦載機の攻撃により損傷(爆弾3発命中) ◎1945/8/15 横須賀にて終戦を迎える ◎1946/7/1 ビキニ環礁にて第1回の原爆実験に使用されることになり米軍によって回航。空中爆発実験ではたいした損害もなし ◎1946/7/25 第2回目の原爆水中爆発の実験で至近距離の爆発を受けて爆発数時間後に約5゚の横傾斜を生じた ◎1946/7/29 夜間に沈没 |
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陸奥 | Mutsu | 横須賀海軍工廠 | ― | 1943/9/1 | ◎1918/6/1 起工 ◎1920/5/31 進水 ◎1921/10/24 竣工、佐世保鎮守府籍となる ◎1921/12 ワシントン海軍軍縮会議に未成艦として廃棄を米英側から主張されたが日本側の要望で保有が認められる ◎1921/12/1 連合艦隊第一艦隊第一戦隊に編入 ◎1923/9/1 関東大震災のとき、長門とともに大連沖にて訓練中だったが、東京、横浜が全滅の電報が入り、救援物資を搭載して東京に回航 ◎1923/10 第一煙突を曲げる改装工事に着手 ◎1925 照射指揮所、副砲改装工事 ◎1925/12/1 予備艦となる ◎1926/12/1 連合艦隊第一艦隊第一戦隊に編入 ◎1927/1 艦首改装工事に着手 1927/10/20 大演習および横浜沖観艦式にて御召艦となる ◎1930/12/1 予備艦となる ◎1932末 探照灯および高角砲を増備する ◎1932/12/1 連合艦隊第一艦隊第一戦隊に編入 ◎1933/11/15 予備艦となる ◎1933/11/20 前檣装置などの改装工事に着手 ◎1934/6/1 佐世保鎮守府籍より横須賀鎮守府に転籍 ◎1934/9/5 横須賀海軍工廠にて大改装工事に着手 ◎1936/9/30 大改装工事完成し煙突は1本となり基準排水量は6,000t増大して39,000tとなる ◎1936/12/1 連合艦隊第一艦隊第一戦隊に編入 ◎1937/8/11 佐世保出航、日華事変により北支に向かう輸送船団を護衛。朝鮮西方海域を行動 ◎1937/8/15 佐世保に帰港 ◎1937/8/20 愛媛県三津浜港より第11師団の一部約2,000名を乗艦させて出航 ◎1937/8/23 上海沖に到着、輸送任務終了 ◎1937/8/24 艦載機をもって上海方面の陸戦を支援 ◎1937/8/25 佐世保に帰港 ◎1937/9/15 佐世保出航、北支方面警戒に従事 ◎1937/9/23 佐世保に帰港 ◎1938/4/9 佐世保出航、南支方面に14日まで行動 ◎1938/10/17 佐世保出航、南支方面に23日まで行動 ◎1938/12/15 予備艦となる ◎1939/11/15 連合艦隊第一艦隊第一戦隊に編入 ◎1940/3/26 佐世保出航、南支方面に4月2日まで行動 ◎1941/2/24 佐世保出航、南支方面に3月3日まで行動 ◎1941/8/11 第一艦隊より除かれ連合艦隊第一戦隊となる ◎1941/8/30 横須賀に入港 ◎1941/9/3 横須賀海軍工廠にて入渠(~1941/9/13) ◎1941/9/21 横須賀出航 ◎1941/9/23 室積沖回航 ◎1941/12/1 呉海軍工廠にて入渠(~1941/12/3) ◎1941/12/8 太平洋戦争開戦、ハワイ攻撃の機動部隊の援護のため柱島を出撃 ◎1941/12/13 機動部隊が敵の反撃を受けなかったので小笠原にて反転、柱島に帰投、以後、内海西部にて作戦支援 ◎1942/1/18 竣工まもない大和の射撃訓練のため標的曳航艦となる ◎1942/5/29 ミッドウェー作戦支援のため柱島を出撃 ◎1942/6/6 空母4隻喪失により作戦中止、反転す ◎1942/6/14 柱島に帰投 ◎1942/7/14 第二戦隊に編入 ◎1942/7/22 呉海軍工廠にて入渠、整備作業(~1942/7/29) ◎1942/8/11 ガダルカナル島へ米軍来攻により、前進部隊として出撃 ◎1942/8/17 トラックに入港 ◎1942/8/21 ソロモン方面に敵任務部隊発見の通報によりトラックを出撃するも発見できず ◎1942/9/22 トラックに帰投、以後、訓練整備作業に従事 ◎1943/1/7 主力部隊に編入されトラック出航 ◎1943/1/12 横須賀に帰港 ◎1943/1/29 横須賀海軍工廠にて入渠、整備(~1942/2/6) ◎1943/2/15 横須賀出航 ◎1943/2/23 柱島に回航 ◎1943/3/4 呉に入港 ◎1943/3/8 柱島に警泊 ◎1943/4/13 呉にて弾薬搭載 1943/6/8 柱島付近にて第三砲塔付近にで爆発が起こり船体を切断して沈没。乗組員1,474名中わずか353名が救助される |
Update 24/09/16